ひとひら

2015年04月

 世界は言葉でできています。言葉が世界をつくっています。

 世界は言葉でできているというテレビ番組がありました。観たことはないのですが、ほんとうに世界は言葉でできています。むしろ言葉でできていないものがないっていうほど、すべてのものが言葉でできています。

 世界は言葉でできていて、言葉が世界をつくっています。

 言葉は、真実や本質を指し示すことはできても、

 真実や本質の一端も表すことができません。

 「言葉ではないものを探そうとしても、

 探そうとしているものが、言葉だった」

 という矛盾もまた言葉によって見つけることができます。

 そんな矛盾に気づいたときに、必ず起きる理解があります。

 理解もまた言葉でできていますが、

 理解をするということは、本当はできません。

 理解が突然起きるのです。

 それはいつも突然です。

 理解が起きるとき、言葉はいつも不要です。

 それでも言葉が必要です。

 それがなければ、

 理解が起きたかどうかを知ることができないからです。

 動物には、自ら理解が起きたことを知ることはできません。

 なぜなら、言葉を持たないからです。

 言葉を持つことによって、理解は起きるのです。

 本当に、知ることができないからです。

 いまから紹介するのは、僕が好きな言葉です

 本当に美しい言葉です。ぜひ、読んでみてください。

 見ることは喋ることではない。言葉は眼の邪魔になるものです。例えば、諸君が野原を歩いていて一輪の美しい花の咲いているのを見たとする。見ると、それは菫の花だとわかる。何だ、菫の花か、と思った瞬間に、諸君はもう花の形も色も見るのを止めるでしょう。諸君は心の中でお喋りをしたのです。菫の花という言葉が、諸君の心のうちに這入って来れば、諸君は、もう眼を閉じるのです。それほど、黙って物を見るという事は難しいことです。菫の花だと解るという事は、花の姿や色の美しい感じを言葉で置き換えてしまうことです。言葉の邪魔の這入らぬ花の美しい感じを、そのまま、持ち続け、花を黙って見続けていれば、花は諸君に、かつて見た事もなかった様な美しさを、それこそ限りなく明かすでしょう。「美を求める心」by 小林秀雄

 烏合の衆に飲まれて、

 自分を見失うな、やりたいことをやれ。

 多数が見向きもしなくても、

 少数が見てくれたらいい。

 その少数に対して、

 自分が出来ることは、何なのかを、

 考え抜け。試行錯誤しろ。

 茨の道を行け。

 後に続く者のために。

 それを、使命と言わずに、

 何と言う。

 問われた瞬間に、即答えられるかどうかで、「運命」は決まる。

 ある映画のワンシーン。2人の(AとB)主役級の役者が、老役者に、あることを問われます。お前は将来何になりたいのかと。そう問われた「A」はすぐに答えることができませんでしたが、「B」はすぐ「オレは◯◯になりたい!」と答えました。

 「A」はというと、数秒後に「オレは◯◯になりたい!」と答えました。

 その後、すぐに答えた「B」は、すぐに夢を叶え、数秒かかった「A」は、何年か後になって、夢を叶えました。

 そんな物語を観ていて、「ああ、これは真実だなぁ」思いました。

 ほんの数秒、答えるのが遅れただけで、数年という単位で、遅れを取ってしまうのです。

 目標は、すぐ答えられるように、無意識レベルに落とし込むこと。そこまでやって、夢は、「あちら」からやってくるのではないでしょうか。

 問われたら、すぐ答えられる「夢」を持つこと。それを、叶えようと尽力すること。必ず叶うのだから、突き進むこと。ただ進むこと。信じることは必要のないことだけど、自分で選んだことを自分が全力で信じないで誰が信じるというのか。誰が、ついていきたいと思うのか。自分で選んだことさえ、信じることができない人に、人はついてこない。夢をかなえるために、全力でそれは正しいのだと、突き進もう。

 「Pro」は「前」、「fess」は「述べる」という意味です。

 プロとは、人前で「私は何々だ」と公言する人のことです。

 「私は作家だ」

 「私は社長だ」

 「私は警察だ」

 「私は料理人だ」

 「私は政治家だ」

 「私は弁護士だ」

 「私は建築家だ」

 「私はサラリーマンだ」

 公言することによって、自己を「プロ」として自覚できるようになります。

 公言するから、最高のサービスを提供できるように奮闘するのではないでしょうか。

 プロは、プロだから公言するのではなく、 公言するからこそ、プロになれたのです。

 プロには、人を感動させる力があります。

 人を動かす、そんな力があれば、どんな世界でも生きていけます。

 「私は何々だ」と公言することは、

 自己を自覚させる手段として有効です。

 なんでもいい、 プロであれ、プロになれ。

 残された時間は短いのだから。プロになることを覚悟せよ。

 *以前、他のブログに書いたことを、再掲しました。

[f:id:logicafe:20150424235509j:plain]

 将たるもの自分が下した決断を神のごとく信じないでどうする。それでは、兵は動かせない。

 以前、「坂の上の雲」という番組を見ていて、記憶に残ったことばです。

 なぜ、この言葉を、また持ってきたのかというと、皆、背中を押して欲しくてたまらないんだなぁと思ったからです。

 よく、先進的な経営者だったり、リーダーが、講演会等で、参加者の質問に答えるという場面がありますよね。そこで、よく出される質問に、こういうものがあります。

 「自分はこういうことがやりたくて、こんな風に考えている(思っている)んですけど、アナタはどう思いですか?」なる質問。

 よくありますよね。なぜこんな質問が出るのでしょう?やりたいことが決まっているのに、なぜやろうとしないのでしょう。そんなの決まっています。誰かに背中を押されたいからです。背中を押されれば、たとえ失敗したとしても、その人の責任に転化できるからです。やりたいことがあるなら、いまやればいいのに。行動することでしか、欲しいものは手に入らないのだから。

 誰かに、助言を求めるくらいなら、自分で下した決断くらい信じてみましょう。やりたいことに誰かの承認なんかいらないんですから。

 自分が決めたことさえ、信じられないようなら、誰もついてくるわけがありません。

 人生の将は誰か?って、そりゃー、自分しかいないわけです。自分がこうするんだと神のごとく信じれば、人生さえも動かせます、マジで。

photo by Kenny (zoompict) Teo

このページのトップヘ